青山 ZERO

03.25 Fri

UK New Houseの貴公子Ray Mangが来日する。読むと、Ray Mangの来日公演をもっと楽しめるDJ Harvey・Moist・UK New Houseの知られざる起源をここに開示する

■UK New Houseの貴公子Ray Mangが来日する。読むと、Ray Mangの来日公演をもっと楽しめるDJ Harvey・Moist・UK New Houseの知られざる起源をここに開示する

 

Text by DJ Marbo / Tokyo Balearic

 

1991年5月ロンドンはコベントガーデンの地下にあるガーデニングクラブ(現在はアップルストア)で、DJ Harvey自身が初めてオーガナイズするMoistはオープンした。ガーデニングクラブには高音質で知られるFormula Soundのミキサーが常設されていた。

 

 

そこにHarveyは追加のサウンドシステムを持ち込んで、さらに音響を強化した。DJブースの最前列には、Idjut Boysを始める前のDanとConradやNick The RecordsやFoolish Felixが、DJの一挙一動を食い入るように注視していた。DJブースの後方や真横の壁際には、Bang the PartyのLeslie LawrenceやAshly Beadle,Rocky & DieselらのX-press 2トリオや、Bang the PartyのLeslie LawrenceやPhil AsherなどのDJプロデューサーらが、DJとオーディエンスを一望していた。

Moistはイギリス特有のローカル色溢れる音楽のクラブでは無かった。Moistのウオーミングアップの時間帯を担当するレジデンツDJにはNYから移住してきたTerry Bristolがいた。TerryはレアグルーブDJの第一人者Norman Jayの従兄弟にあたり、Larry LevanのParadise GarageやDavid MancusoのLoftで育った。そのNYダンスミュージックカルチャーはTerry Bristolを通して、HarveyらのDJチーム内で共有されていた。もちろん地元UK国内とヨーロッパのレコードの情報、USのレコード情報もチーム内で共有されていた。そして、Harveyは1989年と1990年の合計4ヶ月間に渡るDJ Marboがプロデュースしたジャパンツアーで得たインターナショナルな世界最先端の視点と経験と情報と、そこで得た自信をMoistに注入した。当時の日本は好景気の真っただ中で、世界中のカルチャーを経済力でブラックホールのように吸い込んでいた。

 

 

世界一のダンスミュージックの輸入国であり消費国である日本から見た世界は、DJ Harveyをインターナショナルな世界最先端の視点で見る力を開花させた。MoistーNYクラブシーンーTokyoクラブシーンはインターネットも無い1991年にリアルで同期していたのである。そして、1991年の9月のMinistry of Soundのオープンにより、USとヨーロッパのトップDJらが金曜日のMoistでプレイし、土曜日のMinistry of Soundでもプレイするルーティンができあがり、Moistはダンスミュージックカルチャーの世界最前線となった。

 

 

Moistでは、NYダンスクラシックス、バレアリック、最先端の全種類のハウスミュージックがプレイされた。ハウスミュージックは楽曲として部分的に良い所があるものは2枚使いでライブエディットされた。Moistのダンスフロアーで、その2枚使いのダビーでワイルドなグルーブからインスピレションを受けて曲を作り始めたとIdjut BoysのDanとConradは日本のインタビュー(Flower RecordsのフリーマガジンPhono 008 & 009)で答えている。

 

 

Moistは1992年にHarveyのパートナーの出産によりクローズした。このMoistでの1年間の実験が後のUK New Houseと呼ばれるシーンの起源である。それは、数々のDisco Re-Editを生み、1993年のHarveyとGerry RooneyによるBlack Cock recordsの”No Way Back”のリリースで完成される。その後のBlack Cock recordsのリリースによりDisco Re-Editは認知され、同じく1993年のIdjut Boysの”Idjut Boys EP”のリリースにより、UK New Houseはクラッシックから現在までを網羅することになる。そのIdjut Boysと活動を共にするRay Mangは、これらの流れを継承し作品のリリースを今も続けている。

 

UK New Houseの起源には、1989年と1990年の日本が元気たった頃のインターナショナルな世界最先端の視点が重要な役割を果たしている。それが、日本でUK New Houseが今もなお愛される理由である。